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 もりのいえの誕生 ~移転~現在  
もりのいえの変化   シンもりのいえ

   

第2次世界大戦(1945年)後北九州市では八幡製鉄所を中心とした工業が盛んになり、環境汚染が進み公害が発生した。
工場のばい煙が引き起こす喘息にかかる子どもも多くみられた。また周辺の宅地開発により緑地が減少。子どもたちを取り巻く
環境が著しく変化した。自然環境の変化に伴う子どもたちの成長を危惧する時代だった。

学童の公害保健対策として昭和47年(1972年)7月小倉南区頂吉に「少年自然の家」を建設したところ教育上の効果が非常に大きく、評判が良かった。そこで今度は幼児のための類似施設を建設したいと、幼稚園、保育所などの関係者の意見をもとに緑地保育センターの構想がたてられたんだよ。

コンセプトは「緑と太陽、水、新鮮な空気」。当時のおひさまのいえは敷地面積1万平方メートル、建物面積544平方
メートル。5,200平方メートルの芝生を前面に持ち、若松の頓田貯水池を望める広々とした施設だったよ。
 開所当時(昭和50年代)のおひさまのいえ  令和元年くらい(ワシントニアパームの成長が…)
   
 開所当時の広場(本当に広いなあ)  令和元年くらいの様子(ひびき動物ワールドになってるよ)
   
 約40年前の草すべり  現在の草すべり
   

 ある周年行事の様子
 
北九州市内の幼稚園・保育所のほとんどが利用することになり、抽選にもれて利用できない団体が増えてきた。
そこで北九州市の東側(小倉南区堀越)にもりのいえを建設したんだな
もりのいえ建設工事が開始されたころの小倉南区堀越 
 

 もりのいえ開所時
 

 開所式
   
旧もりのいえプレイルーム
階段から中二階を進むとスパイラルすべり台(右下)がありました。 
 複合遊具や長いすべり台がありました。
   
 当時のもりのいえのシンボルだった「きのこの屋根」。
中央下に見えるのが1990年に開催された「とびうめ国体」のキャラクター
”フッくん”がなぜかもりのいえに居ました。
 宿泊室とお風呂が2階にありました。
   
 ターザンロープもあったよ。  ある雪が積もった日 本当のそりすべりができました。
   
 最初の絵から塗り替えられた給水タンク現在も給水タンクは残っています。
高速道路の北九州ジャンクションを通るときに確認できるよ。
 つり橋がある「どろんこ池」 水遊びはここで行っていました。
   
アスレチック 草すべり(新コース)
コースが長すぎて途中で短くしました。 
   
長いすべり台と木の陰には旧草すべり場  もりのいえと書かれたたぬきのアーチ 
   
掲示板 現在も残っていますよ  これも残っています
   
貯水タンク周りの遊具の撤去作業がはじまっています 
2001年3月3日撮影
 現在も使われている「ゴロバン」と「ジャンプ台」
   

開所当時のパンフレット 
表裏  中 
   


平成5年ごろのパンフレット (この時はおひさまのいえと兼用でした)
 表裏
 
中 
 


 きのこ号(もりのいえ初代公用車)
 平成6年~平成18年ごろまで
 
 もりのいえに公用車がやってきました。
運転中、周りの強い視線を感じていました。
写真の右後ろに「とびうめ国体」のキャラクター
 ”フッくん”が見えますねえ。
シンもりのいえ    

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